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泣ける話おしえて。

1 ::2006/02/16(木) 18:09:06
この4年間、一度も泣いておらず
ちと泣いてみたいです。

なんか泣ける話、
おしえてください。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/16(木) 18:13:58
>>1
伝わらなかったかもしれないけど
私は君が思う以上に君のことが好きでした^^
じゃあね

3 :asahi.com:2006/02/16(木) 18:34:37
ウサギをサッカーボール代わりに虐待 容疑の3少年逮捕
2006年02月15日12時10分

 東京都江東区の小学校で飼育されていたウサギをけり殺したとして、
警視庁は15日、同区内の無職少年3人(いずれも18歳)を動物愛
護法違反などの疑いで逮捕した、と発表した。少年らはウサギをボール
代わりにサッカーをしており、「面白半分でやっていてエスカレートした」
などと供述。発覚を免れるため、ウサギの死体を重しと一緒に袋に入れ
て運河に捨てていたという。

 調べでは、少年3人は昨年5月8日早朝、同区立の小学校に侵入。
小屋で飼われていたウサギ1匹を持ち出し、約1キロ離れた公園でける
などして殺した疑い。公園内のすり鉢状になったローラースケート場で
、はい上がってくるウサギを交代でけったという。

 3人のうち2人は同小学校の卒業生。ウサギは生命の大切さを学ぶため飼育されていた。
児童らは「ゆきのすけ」と名付けて可愛がっていた。
行方がわからなくなってからは児童らがポスターを作るなどして捜していた。
出所:ttp://www.asahi.com/national/update/0215/TKY200602150212.html


4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/16(木) 18:40:30
父亡き後、母は女で1つで俺と妹を育て、俺は大学院まで卒業できた。
自分で生計を営むようになって、母は苦しい生計であっただろうに、俺たち兄弟に貧乏であることを感じさせない
配慮をしていたと今になって感じる。
これからのんびり自分の人生を楽しんでもらおうと思っていた矢先・・・
母はガンで病院との往復の生活になってしまった・・・。


5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/16(木) 18:44:19
それがどうした

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/16(木) 19:22:54
1の性別と年代をオシエロ

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/16(木) 19:33:19
うるせえ・・仕事の帰りに1万7千少し入れた財布を落としてきたさ・・・(;ω;)ウッウッウッウ

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/16(木) 20:46:04
>>7
乙。
まあ、その財布を拾った人が幸せになるということで…
カードは一応止めておけヨ

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/17(金) 13:46:16
フランダースの犬借りてみろ

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/19(日) 02:37:43
竜王「よく来たドクオよ。ワシが王の中の王、竜王だ。
ワシは待っておった。そなたのような若者が現れる事を…
もしワシの味方になれば世界の半分をお前にやろう。」

('A`)「王女に嫌われ、町人から蔑まれ、王からは捨て駒扱いな俺を待っていたのか。」

竜王「そうとも、お前が勇者であるがゆえにワシは待っておった。」

('A`)「期待外れだっただろう?期待してたあんたにも、ローラ姫にも、悪い事をしたよ…」

竜王「ならば、なぜ人のために戦う。王女を助け、我が同胞を倒し同胞に倒され、何故ここまで来た。」

('A`)「勇者だと言われたから。気休めの嘘だって知っていたけど、俺は、勇者だって。」

竜王「世界の半分を手に入れれば、そなたを馬鹿にした者どもは皆かしづくだろう。
あの王や王女さえも、そなたの手の中だ。さあ、ワシと共に世界を手にしようではないか。」

('A`)「いいえ、世界なんかいらないよ。嫌われるだけだし、俺なんかすぐイケメンに倒されるよ…。」

竜王「愚か者め…!」

そうぜつで れきしにのこる たたかいが あった。
しかし それは こどくな たたかいだった。
てんが ふるえ ちが さけ ついに…。

竜王「クッ…さあ、殺せ!ワシを殺して、賞賛され語り継がれる本物の勇者になるがいい!」

('A`)「…世界なんかいらないから、俺の友達になってくれないか。」

竜王「戯言を言うなッ!勝者の余裕か、人間め。」

('A`)「初めて…なんだ…。」

竜王「何?」

('A`)「俺を差別せず、俺を疑わず、俺を認めて、俺を勇者として扱ってくれた奴は、アンタが…初めて…。」

竜王「…馬鹿者。魔王に泣かされる勇者があるか。さあ殺せ。殺して故郷へ帰るがいい。」

('A`)「殺せないよ。それに俺の故郷はもう…。」

竜王「………。」

りゅうおう が なかまに なった。
りゅうおう は みがわり を のこして かれら は はるか とおい ちへ たびだったと いう…。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/24(金) 15:09:07
フラッシュに泣ける話がたくっさんあるよ

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/24(金) 17:28:56
不思議なのは、泣ける話が好きなくせに、おまえら何でそうなんだろな?

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/25(土) 02:52:51
a

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/25(土) 14:11:57

泣ける話?
ねーよ


15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 14:55:56
思うんだ・・・。俺、死ぬ前に小学生の頃を
一日でいいから、またやってみたい
わいわい授業受けて、体育で外で遊んで、学校終わったら夕方までまた遊んだ

空き地に夕焼け、金木犀の香りの中家に帰ると、家族が「おかえり〜」と迎えてくれて
TV見ながら談笑して、お母さんが晩御飯作ってくれる(ホントありがたいよな)
お風呂に入って上がったらみんな映画に夢中になってて、子供なのにさもわかってるように見入ってみたり
でも、全部見終える前に眠くなって、お部屋に戻って布団に入る
みんなのいる部屋の光が名残惜しいけど、そのうち意識がなくなって…


そして死にたい


16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 16:24:57
>15乙
ちときた。


17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/12(金) 01:02:36
なんか俺の知らないところで同窓会やってたらしい
そりゃクラスじゃ浮いてたけどやっぱ応えるよなあ
独りは辛い

18 :地裁が泣いた:2006/05/12(金) 01:33:36
 もういきられへん。ここでおわりやで
 そうか。いっしょやで。わしの子や

 京都・認知症母殺人初公判
  ―― 地裁が泣いた ――
 介護疲れ54歳に「情状冒陳」

 認知症の母親(86)の介護で生活苦に陥り、相談の上で殺害したとして承諾殺人などの罪に問われた京都市伏見区の無職、
K被告(54)の初公判が20日、京都地裁=東尾龍一裁判官(54)=であった。

 K被告が起訴事実を認めた後、検察側がK被告が献身的に介護をしながら失職などを経て追いつめられていく過程を詳述。
殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

 事件は今年2月1日朝、京都市伏見区の桂川河川敷で、車椅子の高齢女性とK被告が倒れているのを通行人が発見。
女性は当時86歳だった母で死亡。K被告は首から血を流していたが、一命を取りとめた。

 検察側の冒頭陳述によると、K被告は両親と3人暮しだったが、95年に父が死亡。そのころからく母に認知症の症状が出始め、1人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。K被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、
9月に退職。生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。

 介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。力ードローンの借り出しも限度額に達し、
デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」。K被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区の桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。ここで終わりやで」などと言うと、母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。K被告が「すまんな」と謝ると、
母は「こっちに来い」と呼び、K被告が額を母の額にくっつけると、母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。

 この言葉を聞いて、K被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺害し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。

 冒頭陳述の間、K被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を振るわせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。

 自宅近くの理容店経宮、松村和彦さん(44)は、「(K被告は)母親と手をつないでよく散歩し、疲れて座り込むとおぶっていた。
(事件を聞いて)行政で何とかできないものかと思った」と語る。【太田裕之、石川勝義】『毎日新聞』2006/04/20 より


19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/12(金) 06:32:42
高卒→DQN。人生の敗北者。折り紙つきのクズ。犯罪者予備軍。自分は一番苦労して不幸だと思い込んでる。
     若い頃何も考えていなかったアホ。何を成し遂げても評価されることはない。人類の恥。 一生高卒という名の十字架を背負って生きる。
     人から愛されることはまずない。カスゴミ。朝鮮人に馬鹿にされる。生きてる価値なし。親も馬鹿。すぐ家庭の事情を持ち出す。
     世界中どこへ行っても、人として扱われない。死んでも誰も悲しまない。サルより知能が低い。嘘つき。
     すべて他人のせい。成人式で暴れる。大卒のワーストレアケースと高卒のベストレアケースを比べる。
     一生苦しみながら死ぬことになる可能性大。世界中の人たちから白い目で見られる。臭い。幸せはない。 専門卒→ウンコ
________________人間の境界線______________________________________________________________
中卒→「本当に頭の良い人間は人から教えを請う必要はないんだよ。」と言える。アウトローカコイイ。ダークホース。
Fランク大→学歴を聞かれると「大卒です。」としか言えない。 女に馬鹿にされる。生きてて恥ずかしい。怠けていた結果。高卒しか馬鹿にできない。
________________学歴を聞かれることに怯えなければならない境界線_________________________________
日東駒専、田舎地方の駅弁→やはり少し恥ずかしい。不完全な人間。まともな人間まであと一歩。
________________2chで煽られることに常に怯えていなければならない境界線______________________________
マーチ駅弁卒→普通。ここまでくればまぁ良い方。2chじゃ馬鹿にされることがある。
________________エリートの境界線_______________________________________________________________
駅弁上位(神戸、筑波、千葉、金沢)、東京都立、大阪市立、北大、中央法、早稲田社学人科、慶応SFC、同志社→かなり良い方。 合コンで少し自慢できる
早慶地帝→勝ち組。就職、女受け良し。派閥多し。高卒をカス扱いできる。高卒を理由なく殴っても許される。

________________神の境界線____________________________________________________________
東大京大卒→真の勝者。将来は全く明るい。女金すべてが自由。理由なく高卒、Fランク大、中卒を殴っても許される。超エリート。べジータ。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/14(日) 04:19:54
あれは確か、終電逃して近くのネットカフェで一晩過ごした時だ。
早朝にカフェを出て駅へ向かう途中で、ゴミ収集車に乗ってる親子連れがいたんだよ。
多分、「お父さんの仕事見てみるか?」って感じの流れで運転席に子供と奥さんを
乗せてたんだと思うんだけど、凄く幸せそうに見えたんだよ。

「俺には一生ああいうのはこない。絶対に一生来ないんだ。」
って思ったら涙が止まらなくなってさ。
横断歩道の手前の電柱に寄りかかって大声で泣いたのを覚えてる。


あの時に見た、朝焼けに照らされたゴミ収集車の姿が今でも脳裏に焼きついて離れない。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 15:46:04
>>20
文才ないな

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 23:21:12
読んでいて涙が止まりませんですた。

http://chodenshop.com/greeting.htm


23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 10:01:01
18見て泣いた
ファミレスにいるから横のおばさんに怪しまれてるよ

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:24:13
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。

そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:26:44
オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み〜」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。

先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に

「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:29:10
以前、母がデジカメを買って嬉しそうに色々撮ってたけど、そのうちメモリが
いっぱいになったらしくてメカ音痴な母は「ねえ、これ写らなくなっちゃっ
たんだけど…」と遠慮気味に相談してきたけど、漏れは面倒くさかったから
「なんだよ、そんなの説明書読めばわかるよ! 忙しいからくだらないこと
で話しかけるなよな!」と罵倒してしまった。
その母が先日亡くなった。
遺品を整理してたら件のデジカメを見つけたので、なんとはなしに撮ったもの
を見てみた。
漏れの寝顔が写っていた。
涙が出た。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:30:52
今日、スロット行こうとしたけど金がなかったので、母親の財布から
金パクろうと思って開けたら、10年前の母の日に俺があげた肩たた
き券が大事そうに入っていた。
俺は泣きながら2千円を抜き取った。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:34:58
ジェリーが大人になった頃トムはもうこの世にいませんでした。
トムは自分の命の終わりがすぐ傍まで来ているのを知ったとき、
こっそりジェリーの前から姿を消しました。
ジェリーの前で弱って涙もろくなった自分を見せたくなかったのです。
トムはジェリーの心の中ではずっと喧嘩相手として
生きつづけたかったのです。
トムがいなくなったのに気づいたときジェリーは悲しみは
しませんでしたが、退屈になるなと思いました。
トムとの喧嘩は最高にスリルのあるゲームでしたから。
胸の奥が不思議にチクチクはするのですが、それが何なのか、
ジェリーにはよくはわかりませんでした。トムの願い通り、
ジェリーの心の中でトムはいつまでも仲の悪い喧嘩相手でした。
そんなある日ジェリーの前に一匹の猫が現れました。トムよりのろまで
体も小さい猫です。喧嘩相手のトムがいなくなって寂しかったジェリーは、
今度はこの猫を喧嘩相手にしようと考えました。そこでジェリーは、
穴のあいた三角チーズが仕掛けられたねずみ取りを利用して、
その猫に罠をかけることにしました。いつもトムにしていたように。
ジェリーは物陰に隠れて、ねずみを求めて猫がねずみ取りの近くに来るのを
待っていました。そして思惑通り猫が罠に向かって近づいてきます。
ジェリーはしめしめと思いました。いつものように、
自分がねずみ取りにひっかかるふりをして、逆に猫をねずみ取りにかけてやるんだ。
うふふ。手か尻尾を挟んだ猫の飛び上がる姿が頭に浮かび愉快です。
でも、その猫はトムではありません。猫はチーズの近くまで来たとき、
ジェリーが出てくるより早く美味しそうなねずみの匂いに気づき、
目にもとまらぬ速さで隠れていたジェリーに襲いかかってきました。
ジェリーはいつもトムから逃げていたように逃げましたが、
トムよりのろまなはずの猫にすぐに追いつかれてしまい、
体をガブリと噛まれました。ジェリーも噛みつき返しましたが、
トムより体が小さいはずの猫は平気です。
血まみれのジェリーは薄れ行く意識の中で、本当は鼠が猫と喧嘩して
勝てるわけがないことと、いつもトムはジェリーに「してやられた」ふりをして、
わざとジェリーを捕まえないでいたことを、そのとき始めて知ったのです。
トムの大きな優しさと友情に気づいたのです。
そしてトムがいなくなった時の胸の奥のチクチクの正体にも気づきました。
かけがえのない友を無くした悲しみでした。
ジェリーの魂が体を抜けた時、
空の上には優しく微笑みジェリーを待っているトムがいました。
「また喧嘩ができるね」
「のぞむところさ、今度こそは捕まえてやるぞ」

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 17:17:23
自分が消防の頃、親やじいちゃんは農作業のため学校から帰ると家には
ばあちゃんしかいなかった。だから自然とばあちゃんっ子になった。

学校から帰ると丁度おやつの時間だったのでばあちゃんはよくご飯の余りで
塩だけのおにぎりを作ってくれた。それがすごく好きで毎日楽しみに待っていた。
自分でも喜んで食べてたし、ばあちゃんも嬉しそう顔をほころばせていた。
でも中学生になって人並みに反抗期になりいつしかばあちゃんとの会話もまともに
しなかった。当然おにぎりも食べなくなった。親に反抗はしなかったけど代わりに
ばあちゃんに反抗してたんだなぁと今になって思うよ。

それが中3のある日、突然旅立った。誰にもさよならを言うことなく風呂場で
静かに亡くなった。葬式中、もう会えない、謝ることも何かしてあげることも
出来ない・・・そう思った瞬間ボロボロと涙が出てきた。死んだ直後や通夜でも
泣かなかったに人目を考えず大泣きした。多分今までの人生の中であれ以上に
泣いたことは無かったと思う。

あの塩おにぎりが食べられないんだなぁと思うと今でも涙腺が潤んでくる。
あれ以上に美味いおにぎりは今でも食べたことが無いなぁ・・・

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 19:51:55
カーチャンネタは反則っつーくらい来るモノがあるな。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 20:27:22
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/car/1163425857/207

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 21:16:05
うんちでたぁ

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 18:50:00
最近はこれかな?

ttp://keeping.seesaa.net/article/17463707.html

ttp://www.geocities.jp/bikelovestory/kaze.html
とか
ttp://www.geocities.jp/bikelovestory/donkanyarou_1.html
ttp://www.geocities.jp/bikelovestory/donkanyarou_2.html
ttp://www.geocities.jp/bikelovestory/donkanyarou_3.html
とかは同じバイク乗りとしては来るものがある。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 16:59:04
ちょっと前に、おばあちゃんが死にました。
クモ膜下出血でした。

小学生の頃は両親が共働きで、家にはおばあちゃんしか居ませんでした。
私はおばあちゃんが大好きで大好きで、いつもおばあちゃんの部屋にいました。
学校の家庭科の授業で「小物作り」をしたときも、私は葡萄の剪定をする鋏を入れる袋を作っておばあちゃんにあげました。
肩たたきは毎日していました。
それくらいおばあちゃんが大好きでした。

高校に上がって暫くすると、おばあちゃんに認知症の症状が出てきました。
デイサービスに行くようになって、楽しそうにしているのは良かったのですが。
迎えのバスを、7時くらいからずっと外に出て待っていたりするのです、。来るのは9時なのに。
「まだバスは来ないよ」と声をかけても、「草取りをするから…」と言って聞きません。
他にもいろいろなこと。何度言っても聞かないので、段々おばあちゃんがムカついてきました。
あまりおばあちゃんと話す事もなくなりました。
トイレを失敗するような事はありませんが、それえでも介護する母のストレスは物凄かったようです。
大学2年のとき、おばあちゃんはグループホームに入りました。
それから暫くして、おばあちゃんはグループホームで亡くなりました。
私は大学の実習があったので、死に目には会えませんでした。

お葬式も終わって、グループホームの荷物を家族で引き取りに行きました。
服、下着、布団、テレビ。
引き出しを開けると、大きめの茶封筒が入っていました。
中には、私の写真が沢山入っていました。
病院でおばあちゃんにだっこされている写真。
七五三の写真。入園式の写真。入学式の写真、卒業式の写真。
おばあちゃんに送った、鋏入れも入っていました。
それから、私が小学生の頃に描いた、おばあちゃんの絵。
「おばあちゃんだいすき」と書かれた、私の拙い字。

家に帰ってから、母が言いました。
「おばあちゃんにだっこされた孫は、アンタだけだったんよ」
「他にも孫は4人おるけどな、みんなだっこなんかされてなかったよ」
「グループホームの職員さんにもな、アンタの話しかしてなかったみたい」
「『頭の良い自慢の孫』って言っとったらしいよ」

おばあちゃん、ごめんね。
あんなに大好きだったのに、私はそれを忘れていました。
大好きです、おばあちゃん。大好きです。
大好きです。大好きです。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 00:00:07
姉が3歳だった頃のお話です。

私を妊娠していた当時の母は、国立病院に予約を取りに行きました。
病院まで車で20分ほど、連日混んでいる病院は予約を取りに来る人で一杯で
母は朝5時に家を出て予約を取りに行く事にしました。
姉は当時10時くらいまでは全く起きなかったので、無理に起こして連れて行く
のもかわいそうだと思い、そのまま起こさないようにコッソリ出かけました。

ですが、姉は車の出発する音で起きたようで・・・

家に帰ってきた母が見たのは。
暗い部屋でガタガタ震えながら、泣き続けている姉の姿でした。
いつもはトイレも上手に出来ている姉がお漏らしをしており、寒かったから
脱いだのかパンツは階段に脱ぎ捨ててありました。
足は汚れており、両親を一生懸命探した様子が伺えました。
泣き疲れてもなお、泣いている姉がそこにいました。
母は姉を抱きしめ、「連れて行かなくてごめんね。ごめんね。」と何度も
抱きしめたそうです。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 12:06:01
コピペスレからのコピペ

これも。かなりの長編

■早く結婚してくれ
ttp://keeping.seesaa.net/article/17463707.html

ほんと、職場じゃ見ない方がいいよ

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 19:13:09
age

38 :若崎:2006/12/11(月) 18:42:31
自分は父の顔を知らない。
自分が2歳の頃、交通事故で死んだそうだ。
母に「お父さんの名前、なんて―の?」とか
「お父さんの写真、見して!」とか
「お父さん、メガネかけてたの?」とか聞いても、黙って首を振るだけだった。
父がいない分、母は毎日朝早くから遅くまで仕事をしていた。
酷いときには、1週間母を見ない日だってあったのだ。
そんな時、面倒を見てくれたのが祖父母。
誕生日もクリスマスも、祖父母と一緒。
母とは土日に外出するくらいで、正直何を話したら良いのか全然わからなかった。
小学校のときは「お母さんはカッコよくて、頭が良くて、仕事もすごい出来るんだ」
と、よく自慢していた。
でも、本当はそんな自慢なんていらなかった。
母とちゃんと話がしてみたかった。
そんな時、いつも思うのが死んだ父。
父がいたら、母とも毎日話せた。
父がいたら、母がこんなに仕事をすることもなかった。
父がいたら、父がいたら、父がいたら…
そんな思いがひたすら溢れた。
祖父母は大好きだ。文字の書き方からきゅうりの切り方まで全部教えてくれた。
それでも、やっぱり…
母は父のことを教えてくれないだろう。絶対に。

そんな小学生時代に終止符を打つように、母の再婚が持ち上がった。
小学校の卒業と同時に、県外に引っ越し、新しい父と母との3人で暮らすということだった。
実際、自分は本気で祖父母の所に残ることを考えた。
小学校の友達と離れるのは辛い。でも、それ以上に祖父母と離れるのが嫌だった。
それでも、母の涙に折れて引っ越すことになった。
その時はまだ知らなかった。
母のお腹には新しい父との子供がいた。


39 :若崎:2006/12/11(月) 19:03:15
新しい父は妹が産まれるまでは優しかった。
しかし、妹が産まれた途端、がらりと変わってしまった。
理不尽な怒り方ばかりしかしない。
母の前では優しいのだ。なのに、母がいないと口調も変わる。
それは2年経った今でもちっとも変わらない。
どうしようもなく、辛くなっても話せる人がいなかった。

先週、祖父母を訪ねたときに今まで教えてくれなかった父の墓を聞いた。
全てを話すと、祖父母はこっちに引っ越して来いと言ってくれた。
でも、それは出来ない。
母にもその事実を話さなくてはいけない。母はきっと悲しむ。
今まで、母親らしいことをしてくれなかった母でも、母が悲しむのは見たくない。

そして今日。
祖父母から父の命日だと聞いていた日。
学校を休んで亡き父に会いに行きました。
父の墓は綺麗に掃除されていて、花も供えてありました。
「お父さん、自分はもうすぐ高校受験です。
 今まで会いに来れなくてごめんなさい。
 お父さんの顔は分からないけど、辛い時にはここに来ます。」
本当に父に会いたいと思った。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 03:43:01
・・・・昔々 ある所に一人の駄目人間がいました

そいつは大学を中退して社会に出るため職を転々と廻ったんだ
1社
2社
3社・・
ちょうど冬の寒さが身に沁みる時期でしょうか
12社目を受けた時です
「お前を雇う所なんてどこにも無い」
と面接官に言われました・・・・
それから 彼の引きこもり人生が始まったのです
当初はちょっとだけ休みを取って疲れた体を癒せればそれで良かった・・
両親は笑顔で「疲れたんだろ?少し休んでから頑張りなさい」
って言ってくれたんだ
俺はいつか絶対に両親を幸せにしてやろうと決心した・・・
でも そんな思いは長くは読かなかった
一度 ひきこもりにはまってしまうと怖くて動けなくなってしまう
自分が天才哲学者にでもなったかのように世界を決め付ける
・・・・
ーそんなこんなで3年もの月日は流れたある日
彼はもうドア越しに話かけられても
会話できない程 アホ丸出しの引きこもりと化していた
母親「あなたに会いたいってお友達が来てくれたわよ・・」
震える声で言った
ドンドン!っとドアを叩いて 誰かが叫んでる
「おーい!俺ぇ〜森本だよ、ちょっと話しないか〜?!」
聞き覚えのある声・・・・それと同時に寒気が彼を襲った
高校時代彼をイジメていた不良グループの一人だ・・・
1〜2時間くらいたってドアを叩く音が止んだ・・・
スーッとドアの下から手紙が入れられてきた
ソレを見ながら彼は体育座りのまま眠りについた
ーあの事件が起きて4日目
手紙を確認することにした・・
「同窓会のお知らせ」
引きこもりの彼にコレはきつかったのでしょう
物凄い勢いで破り捨てました
ソレと同時に涙と何とも言えない孤独感・・
そして怒りがこみ上げてきました・・・・
壁を殴りつけ 布団を蹴り上げ 
彼は叫び読けました
そこへ 彼の母親がやってきました
母親「どうしたの?!ねぇ、どうしたの??!!」
耳に聞こえてくる母親の声
彼はそれをかき消すように叫び読けた・・・・

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 03:44:36
同窓会 前夜 母親がドアを3回叩いた
3回叩く時はご飯を運んできた合図だ
いつも通りにドアを少し開けごはんを取ろうとした時だった  
食器の横に黒い物が置いてあった
クリーニングに出したのだろうか 札が付いたままのスーツだった
このスーツは 大学を辞めた時に母親からプレゼントされたもので
チョット丈が短い 残念なスーツだ・・・
お坊ちゃま君みたいで着るのを嫌がったのを憶えている
それでも母さんはそんな彼を見て
「いいわよ!さすがお父さん、お母さんの子ねっ!!」
って自信満々に彼の就活を応援してくれた・・・・
そんなスーツだ・・・・
母親はこのスーツを着て同窓会に行ってほしかったのだろう・・・
だが彼にはそんなこと関係ない
人に会う? 馬鹿じゃないのか?!
ましてや昔の友達なんかには特にだ・・・・・
ーそれから 5ヶ月たった頃・・・・・
滅多にならない携帯に 電話がきた・・・
この携帯電話は彼が引きこもりになりかけの時に母親が渡したものだった
まあ・・・面倒なので電話にでないのは当たり前だろ・・・・・
気になって留守録を聞いてしまった
しかしそこに残っていたのは父親の声だった・・・
父「・・・・・・母さんが倒れた・・・今すぐ○×病院に来い・・
今夜が峠だ・・・そうだ・・」
全身に鳥肌が立った 怖いなんてものじゃない
だけどその時には何も考えずに走り出していた
彼が病院に着いた時にはもう母親の息はなかった・・・
実は父親が電話した時にはもう息はなかったらしい・・・
寝巻きにサンダル・・・伸びっぱなしのヒゲに壊れた眼鏡姿のままで・・
父親
「母さんはお前が自分の力で外に出てほしかったと言っていたんだ・・
お前が自分の意思でここまで来てくれることが 望みだったんだろうな・・」
彼は泣きながら母親の手を握り締めた
ー母親の葬式の日
彼はあのスーツを着た・・・
胸ポケットから1通の手紙とお守りが入っていた・・・
「国○ 先日お友達が来た時に同窓会があるって母さん聞いたの
   だからスーツ着て、皆に会ってきなさい
    せっかく久しぶりに皆に会えるチャンスなんだから、ね
    丈はね 直しておいてあげたから
    もう恥ずかしくないわね これで外出れるね

    ごめんね。                  」
そしてお守り 母さんも同じ物を持っていた・・・・
あの時 ごめんって言えたら・・・・
母さんは喜んでくれたのかな
彼は今でもそのスーツを着て一生懸命働いているそうです




42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 15:44:44
>>18
泣けたよ
行政はなんとかできなかったものかね

43 :ココ:2006/12/12(火) 23:14:22
母親が脳疾患で植物状態になり、東京で結婚して暮らしていた私は家族とともに故郷へ帰った。
父親と同居して1年半。
もともと、若い頃から父とはケンカばっかだったから、お互い相当我慢したよ。
あの日。父とケンカしたとき。私の口から出た言葉。

「おまえなんか死んじゃえばいいのに!!!!」

その次の日、何のお別れの言葉もないまま父は車の中で心不全で亡くなった。
たった一人で。十三時間も一人で。誰にもみとられることもなく。
発見したのは私だった。すでに死後硬直していた父を必死で助けようとした。
でももう間に合わなかった。

車の後部座席には私の好きな蟹が袋にはいっていた。

私が殺したのだと。
わたしのせいだと。
この3年間そう思いながら私は生きてきた。

知り合いに言われた言葉が私を救ったような気がする。

「あなたの言葉でお父さんは死んじゃったかもだけど・・・
 あなたが殺しちゃったのかもだけど・・・
 でも・・・でもっ!
 お 父 さ ん は あ な た を 愛 し て い た は ず だ よ 」

狂ったように泣いた。子供のようにしゃくりあげ、震えながら泣いた。
そう、私は父に最後にそう言ってもらいたかったのだ。
父が亡くなってから大キライだった父を、ダイスキで尊敬していることも
よくわかった。
だから私、母親の面倒見ながらがんばって生きようと思う。

父さん・・・次ももし生まれ変われることができたなら
また父さんの子に生まれてきていいかな。
明日は父さんの月命日だね。
お花買ってこよう。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:20:15
http://www.youtube.com/watch?v=9aeVEzFRGv8

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 00:26:42
「はぁ・・年越しもひとりか・・」
そうつぶやきながら
当時ぼろアパートで一人暮らしの私は
一人寂しくカップ焼きそばのお湯を流しに捨てていた
「あっ」
角度が悪かったのだろう
無残に麺が床にぶちまけられていた。
もう金は無い。
私は無言でそれを拾い集めた
それなのに
外はしんしんと雪が降っていて
向かいの家の明かりは暖かそうで
そうしているうちに年が明けたさ



46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 06:37:56
沁みるなぁ・・・・

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